菅原道真 *学問の神様
菅原道真は学問の神様として有名です。
しかし、宇多天皇によって政治の世界に足を踏み込み、道真の悲劇が始まりました。
道真は871~909年で僅か39歳の生涯です。
菅原家は代々、文章博士で学者の家系です。
道真も18歳で文章生に合格した後に文章博士となります。
宇多天皇から誘われたとは言え、学者から政治家になるのは稀なことでした。
その時代の政治状況は藤原時平が左大臣として権勢を握っていました。
宇多天皇は時平の権力を弱めるために道真を右大臣に抜擢したのです。
しかし、時平は道真の失脚を画策します。
901年の「昌泰の変」です。その結果、道真は大宰府に左遷されて都落ちしていきます。
道真が没すると都では様々な異変が起こります。疫病が流行したり、落雷が相次いだのです。930年には雷が宮中に落ち、そのせいで宇多天皇は体調を崩し死去します。
人々は道真の祟りと恐れおののきます。
北野の地に神殿を建立して道真を「天満天神」として祭り始めたのです。
( 天神 )は人々に災いを与える荒ぶる神々.
( 天満 )は怒りが天に満ちたということ。
道真が雷神となり時平を祟りで懲らしめています。
「北野天神絵巻 」より
天神様.天神宮.天神社は全国に1万以上あると言われています。
そして、あの有名な句です。
(東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ)
道真の悔しさが伝わってきます。
まぁ、考えてみれば学者が政治の世界に入ったこと自体道真の甘さが見てとれますがね。
クワバラ、クワバラですかね。
道真の領地の上桑原、下桑原は落雷から避ける言葉として有名ですよね。
みなさんも雷が鳴ったら一緒に唱えましよう。 クワバラ、クワバラとね。