*伊藤博文
おはようございます😄
日本と朝鮮半島は隣人にして、古代から関わりの深い国なのに何故か近代の関係は反目しあっています。
やはり、*伊藤博文の朝鮮植民地政策があったからでしようか?
しかし、博文は命令していません。
軍閥が中心となり進めていたのです。
伊藤 博文
初代総理大臣にしてさまざまな功績を残しています。
博文は16才の時、吉田松陰の( 松下村塾 )に入門し高杉晋作等と学びます。
吉田松陰は「尊皇譲夷 」―天皇を尊び、外国を排除する―思想の持ち主でしたから、その影響を受けていきます。
そして1871年には「岩倉使節団」の副使として欧米諸国を視察しています。
その時同行しているのが6歳の津田梅子で、帰国後「津田塾大学」を作り女子教育に尽力します。
博文は特にドイツが気にいりました。
開国時の二つの( 条約 )は日本にとって屈辱的な不平等な内容でした。
博文はそれを改正する為には( 憲法 )が必要と考え、ドイツの憲法を参考に、後の「大日本帝国憲法」の制定に関わりました。
その他に、「 貨幣法 」で( 円 )の導入や鉄道開通等々功績を上げればきりがありません。
でも何故か朝鮮国民に嫌われています。なぜ?
そこには誤解があるようです。
朝鮮半島に注目すると日本.中国.ロシアに囲まれています。
3国にとって重要拠点になります。
博文と軍閥は対立します。軍閥は半島を支配下におくべき、博文は反対します。
結局は1905年に保護国に、1910年「韓国併合」し植民地政策が次々と実施されます。
代表例として「 創氏改名 」といって日本名をつけられました。
* 恐ろしいことに在日韓国人の戸籍には未だその名前が記載されています。
「 皇民化政策 」として朝鮮国民は天皇の民として扱わるれ、学校では朝鮮語の禁止.違反するとムチで叩かれました。
その他沢山ありますが省略します。
この様な植民地政策が当時のトップであった博文の命令であると誤解されたまま現在に至っています。植民地政策が実施される以前に博文は射殺されています。
「 勧進大相撲土俵入り之図 」( 歌川豊国筆)
現在も相撲人気が高いので、幕末の( 化政文化 )から相撲図を紹介します。余り現在と変わっていません。
ありがとうございました。明日も良い1日でありますように。